暇な社会人の自分探し

備忘録・自己分析

【真面目って損?】ひねくれちゃったものの話

こんにちは!

先日久しぶりに友人と話してなんでこんなひねくれた人間なのか、

なんでこんなに人が怖いのか、なんでこんなに人が信じられないのか、

なんてことを思い出したので忘れないように書いておこうと。

 

いい子・まじめな子って褒められる。

わりと早いうちに私はそれに気づき、人にやさしくしたり、率先して行動したり、

人が嫌なことを積極的に行う子供でした。

 

が!しかし。

 

私は気づいたのですよ。当たり前のように宿題をやっていくと、当たり前のように宿題をやってこない子に見せてといわれる。

見せてあげるのはいいとして、その宿題が間違っていたら?見せてあげた私は優しくしてあげてるのに恥をかくんですよ!

トイレ掃除嫌って言ってる子がいて、「私やるよ!」と言ってあげたら?

それを聞きつけたほかの人も私も嫌なのーお願い!って言ってくる。

あれれ??

 

私、いいように使われている?

 

小学校高学年ぐらいで私はそれに気づいてしまったのです。

そこからはもうひねくれの始まり。

まず自ら率先してやさしくしてあげるっていうことはなくなり、

何かをしてもらった時だけお礼という形で動くようになりました。

見返りがないと何もできないやつになりましたね。

そんなことを行っているうちに

 

人が怖くなるんですよ。信じられなくなるんです。

 

「やさしくする」というのは、見返りを求めるものだったり、してあげているものであって、素で行うことじゃなくなったため、「相手もそういうもの」と勝手に考えてしまうんですよね。

だから優しくされるのも恐怖。

中学校後半は休みがちになりました。

もう怖い怖い。同級生が怖い怖い。

そんなことがきっかけで、人が怖い・まじめは損、と思うようになりました。

 

高校、大学と数多くの人と接することで、本当に心の底から優しい人ってのはちゃんといるということを再認識できましたが、社会に出てからは得意先や取引先に「え?お前大丈夫?」っていう人が多すぎて、結局なんかやばいやつ、と認識されている人のほうがこの人はやばいからこっちが注意しなきゃ、と相手が損をしているように感じます。

 

世の中生きづらいです。

 

人にやさしくしたら巡り巡って自分に返ってくるとか言いますけど、

一体いつ帰ってくるんでしょう。

私が生きているうちに返ってくるのでしょうか。

謎ですよね。

今の私にはまだここまでしかわからないのです。

この答えが出せる日が来るまでここに書き続けていきたいですね。